某国立大学・阿部研究室のブログ。ビジネスのコミュニケーションのことを、週1回ぐらい書きます。
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現在の日本社会が、どこか閉塞感を漂わせているというのは、多くの人が感じていることではないでしょうか。いろんな論者が指摘しているので、何を今更と思うかもしれませんが、この雰囲気は、石川啄木が「時代閉塞の現状」を書いて、社会のどん詰まり感を嘆いていた時代(1910年頃)と似ているように思います。
さらに、小津安二郎の『大学は出たけれど』を発表したのが1929年で、つまり、世界大恐慌よりも前に、大学を出ても就職がぱっとしないという「閉塞的状況」が一般的に認識されていたと思われます。 そして、日本は、二・二・六事件があったり、太平洋戦争があったりして、「閉塞」どころか「混乱と衰退の時代」へ移行していくのです。前者は、ひょっとするとクーデターが成功して軍部が政権を掌握するかもしれないという大事件ですから、この事件が起こった1936年を、大きな区切りの年に考えてもよいと思います。 こう区切っていくと、明治維新以降、だいたい日本社会が、どのような流れで動いてきたか把握しやすくなります。 ・1968-1910年 躍進の時代(便宜的かつ適当に私が付けました) ・1910-1936年 閉塞の時代 ・1936-1945年 混乱と衰退の時代 さらに戦後を加えると、次のような感じです。 ・1945-1990年 再び、躍進の時代 ・1990- 再び、閉塞の時代(「失われた10年」は90年からということで) さて、こう見ると、ちょっと戦前とパターンが似ている気がしませんか? 単純に、「歴史は繰り返す」とは言いたくありませんが、再び「混乱と衰退の時代」に移行する可能性がないと誰が否定できるでしょうか? 「百年に一度の不況」などと言われていますが、その発端となったサブプライム問題っていうのは、ほとんどアレ詐欺ですね。
サブプライムというのは、ご承知のように、元々所得の低い人たちの住宅ローンを証券化したという金融商品ですが、いかに高級な数学を使おうと、所得の低い人たちの所得が上がり安定してローンが返せるわけではないというのは、明々白々なことです。昨晩NHKの特集を観ていたら、やはりリーマン内部でもこの事実は、やはりきちんと認識されていたようです(彼らは馬鹿でないのだから当たり前と言えば当たり前だが)。 分かりやすく言い換えるならば、ババ抜きのババを証券化して細かく切り刻んで、世界中の皆に、それと分からないようにバラまいたのが、サブプライム問題の本質です。 しかし、こんな馬鹿げたことが、なぜ見過ごされてきたのかが、まさに問題です。 私は、金融工学、というかサイエンス一般に対するアメリカ人の無邪気な信仰があったのではないかとみています。要するに、難しい数学を使っていれば何か素晴しいと思ってしまうナイーブさがアメリカ人の間に根強いと、私は考えています。上でも述べましたが、数学使って儲かるのは投資銀行の側で、住宅ローン払っている貧しい人たちではないのに、そしてそれは常識で考えれば明白なのに、です。 もう一つは、自由な市場に対する、これも信仰に近い信頼があったのでしょうね。だから、あまりFRBも突っ込んで検査しなかったのではないでしょうか。 鴎外の『普請中』と『青年』を改めて読みました。高校生か予備校生の時に部分的に読んだことはありましたが、今回通してちゃんと初めから最後まで読んでみたのです。
私が十代の頃にすでに知っていた位なので、文学に詳しい人は、この両作品の有名なセリフは、ご存じでしょう。「日本は、まだ普請中だ」というものと、『青年』の「日本人は生活を知らない。…その先に生活があると思っているが、実はないのである。」(引用不正確)です。 なぜ今私が改めて両作品を読んだかといえば、この有名なセリフが気になっていたのです。というのも、現在、日本人の多くが「もう(国家の)普請は終わり、頑張って勉強しても(働いても)その先に生活がない」ことに気がつき始めたと、私は考えているのです。 分かりやすく言い直しましょう。戦後、日本社会では、一生懸命勉強して良い大学へ行き良い企業に就職すれば幸せになれる広く信じられていました。しかし、今、経済成長は鈍化し、大企業に就職しても私生活は犠牲になることが多く、それどころか過労死に至る人が増えてきました。経済はどんどん成長し、個人は良い学校を出て良い企業に就職すればハッピーだと単純に信じることができる時代は終わったのです。 日本社会は普請中で、どんどんこれからも成長する、そして、今の生活を犠牲にしても努力すれば将来ハッピーな生活がやってくるという感覚が、時代意識としては終焉したと思います。そのため若者の一部は刹那主義に走り、そして一部は自棄的になっています。 日本人は特定の宗教を信じないと言われますが、明治以降、上で述べたような普請中感覚が、宗教のように、日本人の心を屋台骨のように支えていたと、私は考えています。社会学では「見えない宗教」という概念がありますが、ある程度それに相当するものと言えるでしょう。 どこの国でも、価値観が揺れ動き精神的に混乱していると言うことも出来るかもしれません。しかし、他の多くの国では、良くも悪くも、伝統的な宗教へ回帰することができますが、日本では、かえるべき精神的場所(宗教でなくてもよいかもしれません)のようなものがほとんどないのではないでしょうか。これは、かなり危険な状態です。 久しぶりの書き込みです。
さて、『5つのビジネス・スキル』を上梓して、学生からベテラン・ビジネスマンまで様々な方に読んでいただきました。それで感想を色々聞かせてもらって分かってきたことなのですが、この本を難しいと言う人と、優しくて簡単だと言う人に、けっこう分かれるということです。 私は、当然ビジネス経験を積んだ方、あるいは人生経験を積んだ方には比較的易しいかなと考えていたのですが、年齢や経験で理解度が変わるというよりは(それらも重要な要素の一つかもしれませんが)、ほとんど社会経験のない学生さんでも分かる人には分かるようです。逆に、社会経験を積んだ方でも難しいと感じる方が結構大勢おられるようです。つまり、その差を分けるものは、ある種のビジネス・センスと判断せざるを得ない、と最近思うようになりました。 社会経験を積んだ方でも、私の本を難しいと感じるのは、大きく分けて、公務員(もしくは公務員的な仕事)の方と、心理学系の職種の方に多い気がします(あくまでも少数事例の印象論です)。公務員の仕事に関しては、私も時々反省する(というのも私は国立大学に勤務していて、当然公務員的仕事が多いので)のですが、やはり相手(仕事仲間や顧客等)のことを考えないで型通りに仕事を進めていくことが多いので、それに慣れきってしまっているということがあると思います。逆に言えば、そうした習慣を断ち切れば、組織改善の余地はあるかもしれません。 もう一つ、心理学系の人ですが、元々そうしたことを仕事に選ぶ人は人の心の内側に関心があり、あまり外側に関心がないのかもしれません。 私もゼミや研修で心理学の演習を利用させてもらっていますが、それらの演習とビジネスが、元々のテキストではあまり結びついていないなと感じることがありました。心理学者で、ビジネスに興味がある人は、やはり少ないのではないでしょうか。「天は二物を与えず」ということかもしれません。 私の仕事の一つは、心理学的演習をビジネスに役立つように改善し、(研究上のデータの紹介や理論の説明なども含めて)研修等において、トータルで組織改善に貢献するように努力することだと思います。 # by choimaji | 2009-03-19 15:29
タテ社会は派遣に冷たいという事実は明白なはずなのに、なぜかマスコミでは右も左も日本型の伝統的終身雇用型社会(つまりはタテ社会のことです)の復活をするべしの大合唱しています。コレってなんなのでしょう?
タテ社会とは、わざわざ中根千枝の原本を持ち出すまでもなく、ウチに優しくソトに厳しい組織体制(とそれを前提とする社会)の事です。他の先進国に比べて、日本では、派遣の給与が低く、そしてクビを切られやすく、また、切られた後の保証があまりないというのは、ちょっと調べれば一目瞭然のはずです。それは、タテ社会だから、形は変われども昔からそうなのです(昔は、女性労働をショック・アブソーバーとして使っていた)。 <追記> 欧米先進国では、派遣でも正社員でも、同じ仕事であれば、賃金は一緒、もしくはあまり変わりないところが多いです。 格差社会の何が問題かというと、今まで「一億層中流」「みんな平等」が原則の中で僅かに差を付けることで嫉妬を煽る事に日本社会は成功していたのですが、もはや「他人は他人、自分は別人」という感じで、今の若者の多くに競争心が湧かなくなってしまった事だと思います。
ご存じの通り、英語にも"keep up Jones"と言って、英米社会にも「隣に負けるな」みたいな感覚はそれなりに勿論あるわけですが、何せ英米には、日本よりももっと厳然と下"class"があるわけです。アメリカでは、完全に地区で住民の階層が分かれています。「隣に負けるな」と言っても、意識するのは、その地区の「隣」なのです。 まあ、「一億層中流」だの「みんな平等」だのといったことは、所詮幻想だったと言ってしまえばそれまでですが、日本社会は、よくも悪くも、その幻想を上手く演出してきましたよね。 一つは、恐ろしいまでの経済成長によって格差が隠蔽されたことです。二つ目は、(戦後に限るかもしれませんが)階層による文化差がかなり少なかった事です。 私はトヨタの広告が基本的にそれほど好きではありません(不自然に家族愛などを強調しているため)が、「尊敬される人は真似できるけれど、嫉妬される人は真似できない」(ウロ覚えのため正確ではありません)というコピーには感心しました。
社会学ないし心理学的に言えば、このコピーは正しくない--なぜなら自分と社会的に近い人でないと嫉妬しないので--のでしょうが、日本社会(に限らないか)のある側面を鋭く突く面があると思います。 つまり、人は往々にして、安全パイの、もっと言ってしまえば凡庸なタイプの人を素直に「尊敬」できると表明できますが、本当は嫉妬している人の事を悪く言ったりします。たとえば、一時期タレントの高田万由子がよく悪口を言われていましたが、全部とはいいませんが多くはこの種の嫉妬から生まれたものだと思います。 ところで、『カラマーゾフの兄弟3』の中で、徳の高い僧が死んだときの出来事(腐臭を発する)で卑俗な人間たちが「それ見たか事か」と鬼の首でも取ったかのようにがなり立てる様子が描かれていますが、上で述べた心の有り様と似ているかもしれません。 社会学というか社会科学においてフィールドワークという調査手法があります。言ってみれば現地調査のことで、要するに、現地にしばらく滞在して(人類学だと約一年にも及ぶ)現地の人と生活を共にしたり、現地の人数十人にインタビューしたりするわけです。
フィールドワークのメッカとでも言うべきシカゴ大学て博士号を取得して、日本でも第一人者として活躍している佐藤郁哉さんに言わせると、日本では、学者のフィールドワーク作品はイマイチで、むしろ猪瀬直樹や沢木耕太郎のようなジャーナリストの仕事の方が良いとのことです。井上章一さんも、社会学者の資料は役に立たず、ほとんどジャーナリストの資料を参考にしている、と同様の趣旨のことを述べていました。 最初私は「えーっ」という感じでそれらを読んでいましたが、確かに、私が山一や長銀などの失敗事例の調査をいくつか集めているとだんだん納得してきました。 ジャーナリストの方が、フィールドワーク(ないしインタビュー調査)において優れているというのは、以下のような事情があると思われます。 ・調査体制における人数と資金力の差…インタビューしようと現地に赴くには、まず旅費が要りますが、大学教員の場合、お金が足りない場合がほとんどです。大勢にインタビューしようという時、特に大事件であれば新聞社等であればそれ相応の人員を付けますが、大学教員の場合、一人のことが多いようです。 ・大学教員の場合、現地に赴く前に、すでに某かの理論武装をしており、それが往々にして色眼鏡になっしまう。 ・大学教員はシャイな人が多く、インタビューなどで相手の話を引き出す能力に欠けていることもある。…私はリスニング・スキルに関して何度も実験を行っていますが、このスキルの有無によって、話し手の発話量がかなり変わってきます。下手をすると(というか残念ながら結構多い気がしますが)、世間知らずの学者の場合、相手の言った事を、全く裏読みせずそのまま鵜呑みにしてしまうことがあります。たとえば不祥事を起こした企業のインタビューなどで、この種の事が多いように思われます。 もちろん、商業ジャーナリズムにはスキャンダリズムの側面があり、たいして問題でないことでも無理矢理事を大きくしてしまうことも時として(しょっちゅう?)あるでしょう。しかし、そういったマイナス面を考慮しても、フィールドワーク(インタビュー調査)において、ジャーナリストの方がむしろ優れているということが、どうもありそうです。
オンライン書店、ビーケーワンにおいて、「上司」(851件中)「ビジネススキル」(57件)で検索したところ、『上司もうなる! 5つのビジネス・スキル』が「売れている順」で共に1位になっていました(12/3の時点)。
セブン・アンド・ワイでも同様に、「ビジネススキル」(123件中)で検索したところ、『上司もうなる! 5つのビジネス・スキル』が「売れ筋順」で1位になっていました(12/6の時点)。 上記に店舗においては、ひょっとしたら(売り上げにおいて)新刊図書が有利なのかもしれませんが、兎に角1位というのは気持ちの良いものです。
ここ数年、小樽商科大学での授業(「組織コミュニケーション論」)では、本人としても予想以上に良い評価・成果を得ることができました。
・平成16年度授業(夜間)では、66%の学生が「他の授業に比べて大変役に立つ」と回答しています。小樽商科大学の授業は、会計やマーケティングなど直接役に立つ知識を教えている科目が多く、その中で九割近い学生が「他の授業よりも役に立つ」(「大変役に立つ」と「役に立つ」を合わせて)という評価をしてくれました。 ・ロジカル・シンキングと併せた独自のディベートの演習では、88%の学生が「他の授業よりも役に立つ」と回答しています。(平成17年度授業より) ・プレゼンテーションの講義・演習では、73%の学生が講義を受ける前よりスキルをアップさせています。(アンケートの回答は講義に出ていない学生も含まれるので、講義を受けた学生だけをとると、73%より高い数字を残すものと推測されます。平成18年度授業より) ・ブレインストーミングに関する実験では、阿部ゼミでトレーニングを受けた学生が司会をしたグループが、そうでないグループより、1.5倍近くアイディアを多く出しました(平成17年度授業)。また、司会に対する評価も、トレーニングを受けていない司会者より二倍以上高い得点を記録しました。(平成17・18年度授業より) これからも独自の演習プログラムを開発していく予定です。これまでの調査では、むしろ社会経験のある受講者の方が評判が良いようです。今後は企業の方にも、研修の形で上記プログラムを提供していきたいと考えています。 |




