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by choimaji
某国立大学・阿部研究室のブログ。ビジネスのコミュニケーションのことを、週1回ぐらい書きます。
誰が戦争を起こすのか?
 今日、何とはなしにインターネットのニュースを読んでいたら、赤木智弘という人の「丸山眞男をひっぱたきたい」というエッセイに行き当たりました。このエッセイは、自分たちは就職難で非常に苦労した世代で損をしている、不公平だ、いっそのこと戦争でも起こってくれた方が有り難い、そしてそこで(丸山真男に代表されるような)エリートを虐めてやりたいという趣旨です。

 気持ちはわかります。自分たちだけ、なぜ職にもありつけず、こんな苦労をしなくてはいけないのだ、と。

 しかし、この種の地獄へ道連れ的な考え、またエリートへの怨嗟から起こる暴力の肯定は、私から見れば最悪の発想です。

 日本は、確かにジェラシーを駆り立てて、それを社会活性化のエネルギー源としている面が大きいですが、このようなマイナス方向へ向いてしまうと、質が悪いですね。ジェラシーから自分よりも優れた人をいたぶってやろうという発想は、現在のイジメにも通じるものがありますが、それが社会的な潮流になってしまうと、これは、かなり大きな問題です。

 振り返ってみると、戦前の陸軍・皇道派の連中が、天皇を中心とした社会主義的な革命をやろうと考えたのも、元はと言えば、下層の人たちの窮乏が原因でした。周知のように、二・二六事件は失敗しましたが、陸軍の暴走の背景として、「貧しい人たちを救え」という大義名分があり、そのためには暴力も辞さないというやり方がありました。

 「貧しい人たちを救え」というキーワードは、確かに否定するのが難しい言葉です。しかし、だからと言って、暴力やイジメを肯定してよいわけではありません。

 今の三十歳前後の人たちが他の世代に比べて損をしているというのは、確かに事実だと思います。しかし、そこから戦争の肯定へと導く考えには全く賛成できません。

 その世代が損しているのは、あくまで日本のタテ社会が主要因です。タテ社会とは、わかりやすく言えば、先に社会に出た老人たち(先輩)が既得権益を握って、若者たち(後輩)を搾取している社会です。それでも、何よりも(悪)平等主義が大切と思えば、タテ社会を肯定してもよいかもしれませんが、やはり経済が停滞している時の若者にとっては不公平感を抱くでしょう。

 学生たちにアンケートを取ると、年功序列で同じように出世して給料も上がっていくタテ社会の方が、欧米型の競争社会よりも良いと答える者が半数以上います。しかし、基本的に、タテ社会とは若者が損するシステムであり、社会に出る時上手くそれに乗ることができなければ、一生損することになりかねないということを、ここで改めて指摘しておきたいと思います。

 赤木氏の気持ちはわかりますが、そのエネルギーを戦争の方向にではなく、タテ社会の打破に向けるべきではないでしょうか?
# by choimaji | 2008-03-17 22:03 | 私見
技術決定論に抗して--日記ジャンルの研究
 技術決定論というのは、技術が社会や組織の在り方を決定するという立場です。言ってみれば、こんな素晴らしい技術があればこんな素晴らしいことができますということを喧伝する人たちは、だいたいこの見方と言ってよいでしょう。なぜかは知りませんが、日本では、こういう技術決定論的立場の人たちばかりが、言論界でも、実際に社会をマネジメントしている人たちの間でも優勢です。

 しかし、私は、このような技術決定論立場を取らず、既存のジャンルこそが新しいメディアの受容の仕方を決定するという見方をしています。そこで今注目しているのが、日記というジャンルです。

 たとえば、ブログというメディアを考えてみましょう。日本でなぜこんなに多くの人々がブログを書き、そして読んでいるのでしょう。それは日記というジャンルが元々日本人に定着していたから、ブログが日記として用いられ、そして読まれたというのがジャンル論から見た回答です。ブログという技術を用いれば、極端な話、全地域で同様の変化をもたらすはずだというのが技術決定論的立場ですが、ジャンル論的発想は全く違います。既存のジャンルが、メディアの受容の仕方に影響を与えるのです。

 日記というジャンルは、日本に非常に定着しているジャンルです。古くは、平安期の文学から、インターネット以前では交換日記などという形で日本人の間に浸透してきました。因みに、先ほど日米のアマゾンで、「日記」というタイトルを含んだ文学(評論)を調べると、日本では5821冊もあるのに対し、米国のそれでは(英語以外の言語を含めて)2600冊に過ぎませんでした。このことは、いかに読み物としての「日記」が日本に浸透しているかを示す数字の一つといえるでしょう。

 
# by choimaji | 2008-03-02 15:37 | IT
ニューメディアと技術の創発性
 役人を責める記事ばかりになってしまったので、多少弁護的な話を一つ。

 ビデオテックス(もはや一般には名前すら知られていないでしょう)に代表されるニューメディアに過大な夢を託した役人たち。八十年代、この砂上の楼閣に多大な補助金を出して、様々な自治体が「夢」の実現に邁進(というか、そのふりを)してきました。ところが、その「夢」を実現し得たのはほとんどないのが実情です。

 この失敗の原因は何なのでしょう?

 もちろん、「夢」を描いた役人たち(中央官庁の人も地方自体の人も)の能力不足というという部分もあるでしょう。しかし、ここでは技術の創発性という点にポイントを当てたいと思います。

 技術の創発性とは、簡単に言うと、新しい技術(優れた技術に関しては特に)というのは、どのように利用されるのかわからないというものです。たとえば、以前にも触れましたが、発明者であるエジソンは、蓄音機が、その後巨大な音楽産業を生み出すとは全く予想していませんでした。今日のIBMの基礎を築いたトーマス・ワトソンは、「世界におけるコンピュータの需要は五台」と予測していました。初期のアップル・コンピュータのエバンジェリストであるガイ・カワサキも、DTP(DeskTop Publishing)というジャンルでマッキントッシュが利用されるなどということを予想していませんでした。

 この観点に立つと、役人たちが、ビデオテックスのようなニューメディア(双方向で文字情報を受信できる)を見て、こんな素晴らしいことができるなら社会を変えるに違いないと予想したのも、「アホか、お前ら」と一概に切り捨てることはできません。新しい技術(ニューメディア)は、どのように利用されるのか予想できないのですから。

 技術の創発性に関する代表的論者であるダン・ロビーは、文化、制度、(組織内の)政治、(メンバーの)学習などの要因を主なものとして挙げています。ただ、社会や組織の文化(制度・政治・学習)から、この技術はこのように利用されるだろうと分析することは予測精度を確かに上げますが、それらの要因がどのように絡み合って、どういう方向に行くか予想するのはきわめて難しいということです。
# by choimaji | 2008-03-01 16:04 | IT
地域情報化を考えるための三冊
 先日、あけひょん(神戸大学の田畑先生)から『東日本の地域情報化政策』(北樹出版)をいただき、その後、中野雅至『ローカルIT革命と地方自治体』(日本評論社)と、川本裕司『ニューメディア「誤算」の構造』(リベルタ出版)を購入しました。

 これで、日本の地域情報化を考えるための本が揃ってきました。

 これらの本を読んで改めて感じるのは、日本の為政者たちがきわめて楽観的に新しい技術を導入すれば、バラ色の地域社会がもたらされるだろうという単純な技術決定論に陥っていることです。こんなオメデタイ不勉強な為政者たちのせいで、日本国民はいったい、いくら無駄なお金を使ったのでしょうか?


※とは言うものの、十年ほど前まで、自分も不勉強故、技術決定論的な考え方に陥っていたように思いますが… 反省しています。
# by choimaji | 2008-03-01 15:56 | IT
タテ社会での情報伝達はきわめて遅く、また歪む傾向がある。
 先ほど、テレビ番組で佐々淳行氏が、今回のイージス艦の事故対応で大臣までの連絡が遅いことに触れて「官僚主義の弊害だ」と指摘していましたが、これは違います。

 本来の官僚主義が徹底していれば、マニュアル通りの伝達経路でトップに伝えるだけだから早いのです。

 問題は、日本の自衛隊や防衛省が官僚制ではなくタテ社会だから起きることです。タテ社会での情報伝達はきわめて遅く、また歪む傾向にあります。

 なぜなら、タテ社会は、(モデル的に言うと)小グループのコンセンサスが得られないと別の小グループに情報が行かないからです。そして、下から上に順番に顔色をうかがいながら、情報を上げていくわけですから、現場からトップに行くまで、時間がかかるし、しばしば不正確です。

 それに、どうも自衛隊や防衛省に限らず、日本のタテ社会の組織全般に隠蔽体質というものがあるので、なおさら情報は不正確です。本来なら、隠すだけ疑いが深まり損するだけなのですが、なかなかマニュアル的にリスク・マネジメントができているところは少ないようです。

 確かに官僚制の弊害として、縦割りということが教科書的に指摘できますが、それにしても、日本のタテ社会のように、隣の省庁がやっていることをマスコミを通じて知ったなどということは、普通の官僚制では、タテ社会のそれよりはずっと少ないはずです。

 私は、「踊る大捜査線」(レインボー・ブリッジの方)の映画を使って、官僚制とタテ社会の違いについて説明しています。上でも触れましたが、見た目は、ほとんど一緒ですが、中身はかなり違います。官僚制は、たとえば沼上先生が「組織戦略の考え方」(筑摩新書)で示しているように、キューバ危機の時に偵察機がそこに飛んで、迅速にミスなく情報を伝達・判断しているのです。これは、タテ社会の組織とは明白に異なるものです。
# by choimaji | 2008-02-23 08:47 | 経営学